
2024年7月31日
その昔、私は看護師として病院で働いていた。患者さんから数々のお菓子を頂いてきた。一応病院だし、建前的に断るのだけど、せっかく持ってきてくれたものをお返しするわけにもいかず、スタッフの休憩室で美味しく頂いていた。
もらったお菓子の中で一番思い出深いのが、看護師1年目の時に食べた高野フルーツパーラーのフルーツクッキー。今日はちょっと悲しい話。
その患者さんは末期癌だった。まだ幼い娘さんがいて、本人も40代でまだまだ若かった。当時新人だった私は日々の業務のキツさに加えてその状況の患者さんを見るのが余計辛く精神的にかなり参っていた。
でもその患者さんの旦那さんはいつも笑顔だった。無理をして明るく振る舞っているのが赤く腫らした目元ですぐわかった。それを見るのがさらに辛かった。入院してから日に日に弱っていくお母さんに、まだ状況が理解できていない幼い娘ちゃんは会いたがらなかった。元気がなくて遊べない大人に用はないといった感じで。1日ずつできることが減っていく、もうその日は明日かもしれないという状況で、いつもお世話になっているからと、旦那さんが私にフルーツクッキーをくれた。大してお世話してないような気もしたが、患者本人からも家族からも話はよく聞いていた。それくらいしかできないから、そうしてただけなんだけど。
どうやら私が新人らしく先輩にビビりながら対応していたのが伝わっていたようで、ご夫婦からいつも「頑張ってね」と逆に励まされていた。
初めて見る四角くてカラフルなクッキーは色彩が鮮やかでとても可愛くて、それぞれのフルーツの味がはっきりと感じられた。都会の人はこんなおしゃれなクッキーを知っているものなんだなと感動した。
でも。
いつもお菓子を食べる時の嬉しくて楽しい感情だけじゃなかった。切なくて涙が出た。このクッキー、きっと奥さんが好きだったんだろうなと思った。だって男性がチョイスするにはあまりにも可愛すぎるから。もう食事なんてとっくに食べてなくて、点滴だけでなんとか命を繋いでいる状態の奥さんが、今世でこのクッキーを食べることはもうないだろう。家族3人で笑いながら食べていたことを勝手に想像した。
ちょうどその前日、先輩が「今日が最後のチャンスかもしれないからお風呂入れよう」と言った。私が最後のお風呂に入れた。もう本当にその時が迫っていると感じたばかりだったから余計辛く感じた。
明日は娘ちゃん、来てくれるだろうか、まだ少しは喋れるだろうか、本人も旦那さんも大丈夫だろうか。
そして自分自身に対しても、早く先輩たちみたいに淡々と業務をこなしたい気持ちと、この状況に慣れることへの嫌悪とでぐるぐるした。命の終わりを日常的に目の当たりにする仕事。淡々とこなしている先輩たちがかっこよくも見えたし、軽蔑もした。あっち側の人間の人に、いつか私もなれるだろうか。なって良いのだろうか。なりたいのだろうか。
旦那さんが私にそのクッキーを渡してくれたとき、『じゃ、また明日!!!』といつものように笑って手を振ってくれた。
その日の夜勤で亡くなってしまった。もう『明日』はなかった。
基本的に入院していた患者が亡くなると、その後病棟に来る遺族はいない。そもそも用はないし、人が亡くなるというのは色々と忙しい。病院での最後を思い出したくないだろうとも思う。ちょっと例外の話もあるけど、それはまた別の話として。
あんなに毎日親身になって会って話していた相手なのに、突然もう二度と会うことはなくなるのだ。よくよく考えれば突然ではなくて必然なんだけど。こういう関係性って他にあるのだろうか。
私はその方の横一直線になる前の心電図モニターの波形を印刷して、退職するまでずっと名札の裏に入れていた。彼女の名前はこれからもずっと忘れないだろう。
それからも私はこの件を結構引きずっていた。結局、病棟勤務の看護師は自分にはできないと感じ、クリニックへ転職した。新たな職場は新宿の地下通路を通って毎日高野を横目にしていたので、このフルーツクッキーがあることを確認しあの家族のことを思い出した。でも普段使いするにはちょっと気持ちが入りすぎてなかなか購入に至らなかった。
そして、やっと気持ちの整理がついたので久しぶりにこのお菓子を買おうと思ったら。なんとリニューアルしていて、ビジュアルが全く変わってしまっていた。
四角から、フルーツの形になっていた。残念すぎる。もう思い出して同じ味を食べることは二度とできない。あのきっちり四角が並んでいる様子が実に上品でよかったのに、、、画像検索しても全然出てこない。高野に問い合わせしようか、、、
あの人を忘れないためのお菓子であって、
あの頃の自分を忘れないためにも折に触れて食べたいお菓子。それが私と高野のフルーツクッキー。
|